プロジェクトDTP 2/13

1.プロジェクトDTP

 内容はDTP専用機のソフトをUNIX上に移植する話しでした。

このときは某大手メーカに入社してしばらくしてから、どうやらそうゆう部隊に配属されているらしいことにしばらくして気がつきました。

まあ、いろいろあって(というかなにもなくて)いつのまにか移植検討するチームにいていろいろDTP専用機部隊と打ち合わせやら仕様確認・ドキュメント発掘などやっているうちにDTPの中の組版部の開発の担当みたいになっていました。

ここで問題になったのはDTP専用機との互換性維持です、ようは組版部だけは互換性維持は必須であること、でも 

きちんとしたドキュメントはない、
ソースはところてん
組版部分がDTPソフト全体に点在している


という楽しい状況だったので、組版部分だけ先行して開発しあとは比較チェックで、修正を入れていく方針をひそかにたてました。

あいかわらず、職制上は取りまとめ役みたいなことしちゃいけないんですが無視して勝手に取りまとめ(システム設計)をやって周りから煙たがられていましたがなんとか他の部分(っていうか組版部分だけ先行して開発するめてついでに試験用とかいってワープロ部分もつくってしまったんですから今思えば無茶してたもんです)が立ちあげる前に基本的な開発を終了させ、DTP専用機との互換性チェックと修正を開始させました。

そのときも、試験部隊が別にいるので、またもや上司に御願いし(ゴネ)て試験部隊を用意してもらいました。試験部隊への指示確認は私がすることになってしまいましたが^_^;

まあ、プロジェクトとしては結果しては必要だったと思いますが、上司や周りは本当にやりにくかっただろうと思います。ただ、メンバーは若かったのでよく夜になると「飲みにいくぞ!」メールを流して毎週(毎日?)最終電車がなくなるまでみんなと飲んでいました。まあ、私も若かったという気がします。

全体の流れとしてはこんな感じでした。

DTP専用機のソフトをUNIX上に移植するための準備・企画・検討
組版部分の先行開発(試験専用のワープロ機能も開発)
組版部分の試験と互換性のための調整
他部分との結合

また、Windows版やらNextStep版やら色々移植の話もあり、私はここではドキュメントとソースの管理方法に独自の方法を使ったのですが、評判が悪く私がいなくなってから捨てられてしまったようですT_T 今なら独自方法は取らないんですが、あの当時は今ひとつ使い勝手がいいものがなかったことと、開発自体に余裕があったことがおおきいです。そういえば、C言語上にC++などつかわずに独自のオブジェクトエンジンも実装してそれをつかってました。本当に余裕があったというか、色々実験できました。やはり大企業のメーカさんは違います。